ムーンブルクは、滅んだ。



亡国の王女に残されたのは、残酷な結果だけであった。
伝説と栄華を誇っていた平和な日々が彼女には宛がわれていた。
手を差し出さなくても注がれる。求めなくても得られる。

生まれた時からそうだったから─────未来永劫に、変わらないと信じていた。



雄壮で優しい父 穏和で聡明な母。
心を通わせた人々 愛してくれた人々。
小さな躯に、溢れる程に愛おしまれて、過ごしてきた。

決して誰にも侵される事が無いと。
約束の様に在った。誓われていた様に在った。
・・・・・それなのに。そうであった筈なのに。



今、王女の、スチールブルーの瞳が映すのは、

  黒煙と劫火に魅入られた城と
  それに群集る異形異物のモノどもと
  動かなくなった「親しい者」だったモノと

親から授かった姿でなくなった己の有様、だった。



「・・・クゥ────ぅン・・・」



悲しみの清響・・・・彼女の呼ぶ声が、拡がる。
だが、その咽から出た声は、言葉にさえ成らなかった。
何処から見ても、誰の目から見ても、其処に居るのは、一匹の仔犬だけ。

ムーンブルクの王女の姿は、何処を探しても無い。









『禊ぎの章』






サマルトリア城から南西位、内陸と外界を繋ぐ「清貴妃(ローラ)之門」。
薫夏3月の三カ国開催による「聖華祭典」が行われる期間に限り、門は開放されていた。

その昔、ラダトームから離別したアレスとローラが再会した場所で、ローレシア建国記念当時、
清貴妃たっての希望で真覇帝(アレス)が創設させたと言い伝えられている。
それから100年近くの間、門は国領と国民、そして彼らロトの一族を守ってきた。



「子供の頃は、壮麗でも温かみのあるこの門を何時までも見ていたい、と思っていた。」



ヒューダが、言葉とは裏腹な鋭い視線で門を仰ぎながら云う。
今も同じ気持ちで眺めていたアラウスには、その言葉が少し癪に触ったが、
彼の中にも一部変化があったので、それ以上考えるのを放棄した。

─────・・・尤も彼の場合は、ひねくれただけかもしれないけど、

アラウスは視線を門扉に向けた。はっきり言って此処を通るのは初めてだった。
そう思うと腹の奥がきゅう、と引き締まる。不思議と扉の奥の景色が透けて見えた様な。
サマルトリア領でも無い、ローレシア領でも無い。他国領土と未開の地が、その先に在る。







   ◇◆◇◆◇◆◇







肌に張り付く温かさに、慣れなかった。
空気が湿っている訳でもないのに、なんでこんなにベタベタするのか。
ただひたすら歩を進めていたアラウスも次第に不機嫌になってきた。

隣のヒューダはさぞかし、おっかない表情をしているだろうと、
半分期待して、残りは鏡に映った自分を見る様に、横目で彼の様子を伺うと
意外にも、彼は涼しい顔をしていた。



「残念だったな。僕は君とは違って、此処を通るのは初めてじゃないんだ。」



まぁ、その時はこんな格好ではなかったけどな、と笑顔で付け加える。

アラウスは、ヒューダ同様に王間使節団の聖服を着用していた。
それは聖職者に見える黒地修道服の様な物で、躯の線が見えにくく、
袖や裾が広めの、やや大型の作りで着易くはなっていたが、反面、動作し辛かった。
勿論、彼らが着ているのは、その使節団の中でも最上位者の物と同じく、
ゴテゴテとした装飾品や腕の動きを束縛する外套は見栄えはするが、利便性は皆無だった。

更にアラウスは、本物タチでさえも被らなくなった帽子も律儀に装着していた。
たかが帽子、と思うが、その作りは元から頭に合わせてしつらえる物でない為
非常に坐りが悪く安定せず、肩がこるばかりで不自由極まりなかった。
云うまでもないが、ヒューダはそんな物を被っていない。

いよいよ限界が来たのか、アラウスは辟易した気持ちを露わにしだした。



「なんでこんな格好をするんだ?普通、旅っていうのは、動きやすい方が良いんじゃないか?」

「・・・、例えば、君はどんな物を望む。」

「もっと簡易的な物で、肌にしっくりくる。装備だって直ぐ抜き出せるカンジのだ。」

「・・・、君は、意外と常識が無いんだな。初めから敵意剥き出しの格好してどうするんだ。」

「・・・・・・・敵意・・・・???」



聞き慣れない言葉にアラウスは、戸惑いを覚えた。
彼に再会してからもう何度目になるか、幾つもの疑問符が高速で脳内を駆けめぐる。
アラウスにしてみれば、ヒューダの言動こそ敵意剥き出しの危険思想を内包している様に思えた。
瞠目したまま次の言葉を紡ぎ出せずにいるアラウスを見て、ヒューダは小さく溜息を吐いた。
その反応が、思考が理解できない、と云いたい風に。



「そもそも君は、自分の立場を分かっていない。」

「・・・・俺の、立場?」



分かりやすく云うとだ、と前置きをしてヒューダは続ける。



「端的から僕たちは、侵略者に見られ兼ねないって事だ。」

「・・・・なんだって?」



予想もしなかった発言に、アラウスは目を瞬かせた。
一拍おいて、微笑みを浮かべていた顔が、段々青ざめていく。
彼の動揺にヒューダは表情を曇らせる。口端が僅かに歪んでいた。
アラウスは声を荒げた。勿論、抗議する為。



「なんだって、そんな極論に走るんだ?
 いくら向こうだって此方に無いモノを感じる訳がないだろう?俺が云いたいのは、」

「同じ事だ。考えてもみろ。平穏な日常生活をしているだけの処に、
 薄汚れた鎧を纏い、武器を晒した見知らぬ人間が来たら誰だって思うだろう。危険な奴だ、と。
 そういう余計な誤解を生まない為にも、それと分からない格好をするのが良いに決まっている。」

「─────・・・そうして、欺いていて、いざバレたらどうする?
 却って相手にもっと深い疑惑を与えて、不信感を煽るんじゃないのか?」



アラウスの問いに返事せず、ヒューダは突然、歩を早めた。
暫くして、彼の歩みが止まる。ヒューダの左手は、外界側の門扉に触れていた。

扉が堅く閉じられていて簡単には動きそうに無いのは、目に見て分かった。
ヒューダは帯刀と共に下げた革袋を取り出し、その中身を乾ききった蝶番に滴らせた。
それは刀身を研く為の油だったが、彼は惜しげもなくたっぷりとかけていく。
一頻りかけ終えヒューダが極軽く力を入れると、重い軋んだ音を立てながらも扉は開いた。

光を見ていなかったのは、僅かな間だったのに目が痛む。
アラウスは手で目庇を作り、やや細めて先を見た。彼の眼下に景色が広がる。
彩が、故郷で見たそれより美しく鮮明に瞳に映った瞬間、彼のアイスブルーに深緑が混ざった。

─────・・・まるで違うモノに見える。

素直な感動に酔いしれて、アラウスは隧道から駆け出した。
地表に万遍なく注がれる光を、世界に流れ巡る風を感じたい一心で。



「・・・。やっぱり君は、分かっていない。」



ヒューダは革袋を仕舞い直しながら帯刀が見えない様に、外套を羽織り直していた。







   ◇◆◇◆◇◆◇







身に馴染まない感触にアラウスは目を開けた。



「───なに?」

「何だ。アラス」







   ◇◆◇◆◇◆◇







月下大陸の北東位に在る村「ムーンペタ」は、
ムーンブルクの直接的な統治を受けない、自治村だった。

それ故と云うべきか、不幸中の幸いと云うべきかは言及しないが、
結果的にムーンブルクにあった45の所属町村で唯一、生き残れたのだった。

しかし、建物や村民に被害は無かったものの、不安が無い訳では無い。
ましてや、各地から災禍を辛うじて逃れてきた人々の憔悴しきった様子を見て
何も危惧せずにいるなど出来る筈が無かった。

村民達は被災民達の介護をする事でどうにか平常心を保っている、危うい状態だった。
ヒューダとアラウスは、聞き込みをしながら状況を把握する事に終始していた。
何も出来ないのに心が痛んだが、特殊な技術も寄進できる資金も持ち合わせていない彼らに
出来る事は無かった。気持ちだけが、割れる様に泣いていた。

やがて、精神的に疲れた2人は、人影が少ない路地裏に座り込んだ。
両手足を投げ出し、壁に頭を擦り、自分の感覚に閉じこもると
周囲の静けさに涙が止まらなかった。アラウスは態勢を崩し地面に添う。
瞼を下ろすと心身に闇に包まれる。



アラウスが頬に触れる違和感に気付いたのは、暫くしてからだった。

─────・・・くすぐったい。

目を開けると青い玉が2個浮かんでいた。







   ◇◆◇◆◇◆◇







襲われた町は、完膚なきまで破壊され尽くされていたが、
敵から念入りの攻撃を受けたムーンブルク城は、その姿を殆んど留めておいていた。

実際、火災被害は思った程でなく、壁に大穴が開いていても間隔があった為、
直ぐに崩壊する危険は無いに等しかった。寧ろ、その様に見えた。


だが、陽光に包まれているムーンブルク城内に在ったのは、

不気味なまでの静けさと

無数ともいえる『人影』と毒の沼、

そして、赤黒い光を宿した思念、だった。





















続きます。


04.10.07


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