その日は、朝が来なかった。
彼女はぼんやりとした頭をどうにか擡げた。
いつもでは有り得ない特別のぼんやり───倦怠感。
別に低血圧な訳ではない。寧ろ彼女は目覚めが良い方だ。
だからこの変化に驚いているのは他でもない、彼女だった。
銅褐色の双眼が窓の外の景色を映す。刻は朝になっていたが、
映ったのは夜に似た彩だった。
「朝・・・そっかぁ、『此処』には光が無かったンだっけぇ。」
我知らず、彼女は独りごちた。
重い身体を寝台から引き剥がそうとするが、
その動きでさえ機敏にこなすことが出来なかった。内が『異変』を訴えている。
・・・・なのに、それなのに、
鼓膜が何らかの音を感知する。
一瞬、『何の音』か解らなかった。しかし、
・・・・身体からは、彼女の中からは、
双肩が戦慄き、悪寒が全身を駆け巡った。
息が詰まった様だった。痛みはないのに涙が出る。
・・・・得体の知れないモノが満ち溢れて、
彼女が嗚咽を漏らしたのと仲間が様子を見に来たのは、同時だった。
扉が開き仲間が『異変』に気付いて駆け寄って来た。温もりが身体を包む。
──── 途端、弾けた。
「い、やぁ・・・来ないでぇ、見ないで・・・見ないでぇッ!!!!」
悲鳴が部屋を木霊する。拒絶の声だった。
仲間が呆然と見詰める中で
『可能性』は現実になり・・・・・・
『異変』は彼女の枠を越える・・・・・・・
時間の感覚を失ったのは初めてだった。
信じられない程の永い時間が彼女と仲間の間を流れた。
その永い時間を、この先ずっと・・・ずっと味わい続けなければならない?
深い深い絶望が、闇の朝に滲んだ。
・・・・・・彼女は『人間』ではなかった・・・・・・
《 その生命 人外の者。その存在は 規定外のモノ。
衆人の囁きは皆等しく、其れを称する「魔女」と─── 》
「、なんでどうして『アンタ様』が御いっしゃるので御座いますでこす事よ??」
「・・・・相変わらず頭の足りないものの云いようだな。貴様の部下は、」
「そう思うなら不意打ちで出て来ないでよ。私を片頭痛で殺す気?」
ヤムタの精一杯の抵抗(?)もグレイスのぼやきを気にする風でも無く、
目の前の少年は小憎たらしい程に飄々としていた。
第2の故郷であるラダトームを旅立って早2年、
此の少年との腐れ縁は切れるモノでは無いと諦める時期が来たかも知れない。
グレイスは気付かれない様に溜息をついた。・・・・筈だったが、
「ふゥん、そういう態度をとるか。」
にこり、とも笑わず少年は不満丸出しの態度を見せた。
焦らす言い方。伺う態度。隠そうともしない、明らかな敵意。
少年が背負っているオーラには毒を含んでいるものの甘ささえ感じる。
グレイスは一気に悪くなった自分の立場にひたすらに後悔するしかなかった。
ココで愛想笑いを絶ッ対しないのが此奴なんだよな──ヤムタはある意味での賞賛を彼に送った。
年齢が三十路に近くなったとはいえ是まで同様、自己中心的。
大輪の腕を持った大男は惜しげもなく、その肉体美を晒していた。
日が当たらなくても褐色の地肌は健康(馬鹿)を十二分に表している。
お陰様で彼の周りの人間は太陽が無くても適温を超越した苦痛な程の暑苦しさを味わえた。
「ラルスが呼んでこいって駄々こねやがるから来ただけだ。自由意思じゃない。
それでもオレに。マイラみたいな鄙びた所にわざわざお迎えに来させられたオレに。
も・ん・く・が、ある。・・・・何様のつもりだ。貴様らは。」
何ッ処の世界に自国の王を呼び捨てにする王宮楽師がいるもんか───絶対に聞こえない様に
ヤムタはツッコミをいれた。聞かれたら何云われるか堪ったもんじゃない。
その点までは彼女の方も同意見だった。・・・・そこまでは、
「・・・御主君が?わざわざ私を呼ぶだけに貴方を指名したの??」
気になる事がある時のグレイスは最強だった。(オイ、そこッ)
そして2人はそのままやたら小難しい顔で是又、難しそうな話しをし始める。
よって、ヤムタは喉元まで出かかった言葉を唾液と一緒に飲み込んでしまった。
───・・・なんつうか、勝手にやってろッ!!
10分間程、ヤムタはふてくされるしかやる事が無かった。
アレフガルド唯一の王国で無二の城、ラダトーム城。
大凡1ヶ月ぶりの城内は僅かに鉄の臭いが漂っている様だった。
城門を潜る前からなにやら気分悪そうになっている王宮楽師の少年に
その事を告げると一言「ウスノロバカッ、ドテチン」と言い捨てられてしまった。
どういう意味だと更に質問を繰り返していたら絶対零度を纏った鉄仮面に射竦められてしまった。
グレイスも同じ様に苦しそうな表情を浮かべている。目に色が無くなっていた。
益々、不可解で難解な状況にヤムタは別の息苦しさを感じずにはいられなかった。
中廊下を抜けて玉座の間に向かう途中だった。
グレイス達の前を男が1人進行方向を塞ぐ様に立っていた。
「・・・グレイオーム様、で御座いますか?」
近くで見るとなかなか見目が良い男だった。
浅葱色の髪を右側に結い流した優顔の男。年は20代後半ぐらいだろうか。
しかし、緑葉石の瞳の思慮深い色を見た時、ヤムタは警戒心を解いた。───賢人だ。
王宮楽師の少年が伺う態度をとっている処からこの男が城の人間でない事は確かだった。
グレイスを本名で呼ぶのが証拠。それでもヤムタにはこの男に疑う気持ちが全く無くなっていた。
ヤムタより早く目の前の男を危険人物から除外したグレイスがゆっくり頷いた。
「その名で呼ばれたのは久方ぶりです。でもグレイスで良いですよ。」
「私はレムサスと申します。ご多忙の処お越し頂いてを申し訳ありません。」
彼らが召還されたのは、賢人レムサス強っての願いだった。
「では、貴方がたは『あの光』で此方に来られたのですか?」
「正確には、私達が来たのと光が差したのが同時だった・・・という事です。」
俄には信じがたい話しだった。
10日に突如世界に現れた謎の光はレムサス達が起こしたモノだという。
何でも彼らは此処とは全く異なる光の世界から来た・・・異邦人なのだそうだ。
それでも態度や感情表現、外見からまるで変わらない姿をしている事からは想像さえつかない。
穏やかなレムサスの人となりに彼らは素直な好感が持てた。・・・・・・約1名を除いては、
「それで。貴様はどういう権限があってオレを遣ったんだ。
役と違う事をさせられるのは嫌いだ。納得しないが説明してもらおうか。」
絶世の美少年が台無し。真夏に汗で化粧が流れ落ちた様な不細工顔。
その表情に彩られた感情に気付いたのは、その時はレムサスだけだった。
それだけこの少年の尊大かつプライドの高い傲慢な態度は日常の事だったからだ。
ヤムタはというと───この不快極まりない状況で不思議な興奮を抑えられていなかった。
言い知れぬ期待感。血生臭い空気の中でヤムタは押し寄せる感情の渦の中にいた。
「・・・・・・実は、個人的な事情があって容貌が、
望まぬ形に変化してしまった『在る人』を助けて頂きたいのです。」
「・・・そ、んな事ッ!!」
突然グレイスの身に降って沸いた責任問題。勿論、続く言葉は決まっていた。
だが「出来る訳がない」「関係ない」と切り捨てる事が彼女には出来なかった。
自分に頼むからには何かしら救う手だてが彼女の是までの、そして是からの行動にあるに違いない。
今までの2年間、今日からの1年間を確かな形として見てみたい。感じたい。知りたい。
グレイスは不幸なその人を助ける決心をした。彼女の相貌が目に見て変わった。
年下ながら決断の早い「元・上司」をヤムタは頼もしく思い、尊敬していた。
「その方はどちらにいらっしゃるのですか?」
「・・・このお城の、一室に閉じ籠もっておいでです。お会いになって戴けますか?」
グレイスは力強く頷いた。この時、ヤムタの鼓動が1つ跳ねた。
身体の内外に纏わり染み込む血臭はその部屋から溢れ出ていた。
城内ではかすかだった気配が此処では大きく感じる。同時に赤鉄の臭いも濃くなっていた。
さっきまで僅かながら元気になっていたグレイスも噎せる臭いに更なる限界が近づいていた。
王宮楽師の少年は既に戦線を離脱していた。レムサスも苦悶の色を隠しきれていなっている。
2人とも眉根を寄せ顔を顰めていた。───ヤムタは最早何も感じなくなっていた。
グレイスはドアノブを握ったまま踏み出すことも引っ込むことも出来なくなっている。
しかし、レムサスは彼女を圧すも責めるもしなかった。只、待っていた。が、
そのどちらでなくてもグレイスはプレッシャーに焦っていた。
「・・・隊長様よ、俺様が先に行ってやっても良いぜ。」
云うや否やヤムタはグレイスを扉から引き剥がし、強くドアノブを捻った。
開けた瞬間、全身を何か小さいモノが凄い早さで貫通していった。
痛みは感じなかったが、細胞の1つ1つが破壊された様な血が沸き立つ様な感覚。
原子サイズのモノが弾丸の如く発射されて命中し、後に何も残らない。
ヤムタは矢面に立った気分だった。でも、身体は刺激を受け止めていた。───別のモノとして、
羽目格子がされた窓の前、石畳剥き出しの部屋、明かりは1本の燭台のみ。
客室にしては無骨な造りであるが牢屋にしては貧弱な部屋
─────鳥籠、と呼ぶのが相応しい。
しかも、そこに居たのは、不幸の人物でも薄幸の隠者でもなく
─────至宝の鳥、迦陵頻伽。
細かな細工が施されそれ1つでも芸術品の椅子だったが、
腰掛けている少女の存在にはとてもではないものの、些か不相応だった。
闇の中に佇む姿は聖女か女神か、何にしてもこの世の者とは思えなかった。
自身で光を操るのか髪は青天下の綾錦、その長さは足の付け根に届く程だった。
抜ける様な白絹の肌と女性らしい柔らかで丸みのある躯だが、華奢でない小ささは幼女らしい。
目縁を飾る睫は長く儚げだが、銅褐色の双眼は何処か虚ろげだった。その上に、
空気の淀みと噎せ返す血臭は『人間』を取り巻くモノでなく、彼女は明らかに『異常』で
其れさえ蠱惑的だった・・・・・・・
『異質』な存在だった。
ヤムタは食い入るかの様に少女を見つめ続けた。
流石に部屋に入った瞬間は血の臭いが気になったが、
もうそんなモノは彼の周りからは霧散していた。───序でに申し訳程度の思考回路も
遅れてグレイスが入室をはたす。続いてレムサスも。
しかし、彼らの顔からは苦痛の表情が完全に無くなっていなかった。
彼女は立ち惚けままの巨漢を押しのけて更に前へ出た。足場を確かめる様に歩み寄り少女に添う。
少女は、拒絶しなかった。気怠げに視線を仰ぐ。だが、焦点は定まっていない。
グレイスは一瞬、顔を作ったが直ぐに止めた。辛そうな、でも慈しみのある相貌。
其の時、初めて少女の瞳にグレイスが映った。
「、私は・・・グレイスって云うの。初めまして」
真意を推し量る瞳、探られる心・・・・絶えず放たれる血臭にグレイスは気絶寸前だった。
少女の視界には今、グレイスだけしか居ない───そう思うとヤムタは居ても立ってもいられなかった。
「お、お、俺様は!ヤムタだッ!!あ、んたは、なんて云うんだ!?」
少女の双眼が今度はヤムタを映す。───見ている。見られている。
それだけでヤムタは腹の底から笑いたかった。全身が泡立つ快感。蝶々のダンス。
少女の表情に僅かに生気が戻る。血臭がまた少し濃くなった。
「・・・・・・・・・・ぁ、・・・ レミラ ・・・・・ ・・・・・・」
聞こえた。はっきり聞こえた。
鈴鳴る声が、少女の声が聴こえた。
ヤムタは少女の眼前に立つグレイスをタックルして壁に叩き付けた。
グレイスの軽い体がしなやかに飛ぶ。彼女の恨めしそうな視線なんて関係無かった。
ヤムタは自分の腕をレミラの細い首に絡みつけるとそのまま強く抱きしめた。
過剰のスキンシップにレミラは軽く酸欠になってしまっていた。
気絶したレミラを救う為、復活したグレイスがヤムタに得物を向けるまで
レミラは肌と心に温もりを感じていた。
レムサスは無言で3人の絡み合いを穏やかに眺めていた。
心身を侵食する血臭はまだ漂ったまま・・・・。
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グレイス側の主要メンバーがやっと揃いました。
勿論、これで全員ではありません。良かったですね。(何が)
暫くは普段から血生臭い気分から始まります。レミラ頑張れ。
そもそもオフラインで本を出したことのある3を
オンラインでもやろうと思ったのは、1つはレミラの裏設定の事。
なんとなくこれだけで本2冊はいけてしまうので、こっちに持ってきました。
勿体無かったし。主人公は良いですよね。そう言う点では。受け入れてもらいやすいし、
次回は2サイドで展開してみたいもんです。
大御所様がお出ましです。誰とは云いません。
04.07.19
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